2001年8月7日
パンガン島上陸
今日は、午前6時には目が覚めた。
窓越しに海を見てみると昨日までずっしりとのしかかっていたねずみ色の雲は、ゆっくりと海の彼方へと動き始め、切れ間から朝日がキラキラ差し始めた。
快晴を予感させる朝である。
グランドレストランで朝食を済ませ、10時20分頃僕らを乗せたテンダーボートはエーリスを後にして、パンガン島へとむかった。
乗船してすぐに申し込んだシュノーケルツアーは結局人数不足で中止となったので、今回は日本からご持参のマイシュノーケルとデジカメと防水カバーを持ってフリーでパンガン島探検に出かけるのである。
パンガン島は約20あるサムイ群島の中でも2番目に大きな島である。
テンダーボートはその島の南端にあるリン・ナイ・ビーチへとエメラルドグリーンの海をキラキラと約30分の船旅で僕らを運んでくれた。
木造桟橋を渡り、船着場のロータリーを抜けると、半島の反対側まで未舗装の道が延びていた。
目抜き通りのこの道は、車がやっと通れるくらいの幅しかなく、両側にはお土産店はもとより、数々のダイビングショップやらレストラン、おまけにわら葺屋根のインターネットカフェまであった。
 そして特に気になったのは、ヨーロッパ方面からのバックパッカーがやたらと多いということだ。 パリのカフェをイメージしたパン屋は、何気にヨーロッパからの人々に受けていた。粘土質の道を注意深くやく15分ほど歩くと、やがてリン・ノク・ビーチが正面に見えてきた。サラサラの白い砂のビーチは約600メートルくらい続き、海に向ってテラス付きの海の家風のレストランやらダイブショップが並んでた。
さっそく持参のシュノーケルで海中散歩としゃれ込んでみたものの砂があまりにも細かいので波が巻き上げてしまい、かなり沖まで行ってみてもまったく何も見えなかった。
エメラルドグリーンの海=トロピカルフィッシュの式はなかなか成り立たないようである。
 仕方なくヨーロッパ方面からご来客のトップレス嬢を見学しようと試みたが、メガネを忘れてしまい水中メガネをかけてもまったく無駄なため断念。新潮文庫夏の一冊をお友達に1時間ほどゆっくりとした。

  昼食は眺めのよさそうなテラス付きのレストランへチャレンジした。
入ってみるとそこにはお客が14〜15人くらいおり、すべてがヨーロッパからの若者バックパッカーであった。 そんなことであるから、メニューも英語で書かれており、ピザやパスタなど日本のファミリーレストランの様な内容で、種類はもしかするとこちらの方が多いかもしれないくらいであった。
タイ産のシンハビールを2本ほど飲み、お粥やチャーハンなどを注文した。値段も安く2人で500円もあれば十分で味も量も完璧であった。 
 突然やってきたスコールをこのレストランでやり過ごし、僕らは来た道をまた桟橋までもどった。
 帰路、首から下げていたキャノンIXYデジカメの防水カバーは人気者でみんなから注目を浴びていた。
 3時間ちょっとの滞在だったけれども、レンタルバイクなどもあったので、次回ゆっくりと旅をしてみたいところである。
船に戻ると、今日は6時より後部デッキでバーべキューがある。
シャワーを浴びて、クリッパーテラスへ向うとさっそくコックさん2名が、お肉をジュウジュウやり始めていた。
記念にデジカメをパチパチやっていると、気を良くしたのか焼きたての美味しいところを、優先にお皿に盛ってくれて、りんごをすりつぶしたタレで食べよとかなり熱心に勧めてくれた。
デッキではタイ人バンドにより各国のヒットソングが歌われ、ちょっとラリっちゃった巻舌の"昴"も食事をより楽しいものにしてくれた。
 明日は下船の日なので、これが最後の夕食になるけれど、全体的にはVIRGOよりも食事の内容が良かったように思う。 コック長が日本人だったからか、タイの味付けが日本人向けだったのか、理由はいろいろとあるだろうけれど特に必ず毎日出されるお粥はかなり美味しかった。
 夕食後はカラオケラウンジなるところで美声を響かせたり。
 その後向かったプールサイドでは、真夜中までロックンロールダンス大会が開かれていて、ヨーロッパからのダンサーもお客にまじって楽しんでいた.。
デザートはエーリス号の特製ケーキで!