2000年8月6日
船上での一日
今日は一日船上の人である。
朝から雨季特有のスコールがたまにやって来て、船は遥か彼方に島影やら船を見ながら巡航している。
大きさがVIRGOの約半分のARIESはやはり少し揺れる。
しかし、この揺れが船好きにはたまらないシチュエーションなのだ。このくらいの大きさの船になると、波の動きが床を伝わって感じられるような気がして、たまに乗り越える三角波で小刻みな小さい揺れを感じると、海と一体化したような気分になってくるのである。
朝食後、ピーターさんに似たクルーのお兄さんと、プルプルお腹を揺らしてジャズダンス体操を行い30分ほどして、クタクタとキャビンへ帰ると突然電話のベルがなった。
明日のツアーのことかな?電話をとる前からおおかたの予想をしていたのだが、どうも電話をかけてきたセクションが違うようだ。「ミスタータナカは今日はガラパーティーに出られますか」の質問に僕は「OFFCOURSE」のお答え。 こっちはパーティーの為に青山製スーパー夏物スーツとこれも青山のスタンプを集めてもらったイタリア製革靴をご持参しているのだ。 ただ夕飯を食う為に持ってきたのだら、このパーティーはどんなことがあってもご出席!なのである。

さて、電話の話を元に戻すと内容は、どうやらオフィサーとパーティーは同じテーブルで良いかというものであった!! これってま〜るいテーブルで口ひげとかはやした貫禄のある船長さんとかとご一緒できる。ということなのか・・・一瞬受話器の向こうには優雅なディナーの夕べを満喫しているタキシードの自分がクルーズガイドの状態でそこにいた。

一瞬の空白の後、「オフ・オフ・オフコースのお答え」午後にご招待状をお届けいたしますとのことであった。 うーーラッキーー! っがしかし、英語OK??タイ語じゃないよなーーまさかー。 と最後に電話の向こうでは「彼は英語もお上手ですよ」であった。

午後になり、本日の挑戦コーナーの時間がやって来た。
いつもの癖で食い物と潜り以外は後回しになってしまい、ブリッジ見学ツアーは既に満員になってしまっていた。
 電話から30分もするとツアーデスクで、もみ手をする日本人2名がそこにいた。
お気の毒ですが本日6回あるツアーは満タン!です!!
「でも何とかなんないですかねーーせっかく日本から来たんだし、日本人のお客も4人しかいないのだから。」「だめですねー安全上の問題がありますから。ただ集合時間の少し前に来て御覧なさい。キャンセルがあったらもぐりこめるかもしれないですよ。」 うそうかそうかそう攻撃もあったか。ツアーデスクのお姉さんは毎時間来ればーだって。  そんなに暇じゃないんだよこっちだって!と思いつつ2回チャレンジしたが玉砕状態であった。
2回目にはキャンセルがあってラッキーと思ったのだけれど、タイ語でキャンセル待ちのアナウンスをされたので、オタオタしている間に黒フチめがねの結構僕ってお船オタクねという感じのタイ人青年に取られてしまった。 ・・・なんだよ〜きたねえじゃんかよタイ語でもって仲間はずれの攻撃は!!の殺気を感じたのかデスクのお姉さんがまたもやアドバイスをくれた。
「えーっとですね英語コースは本日4時からのただ一発だけあります。」
そうか。今度はなんとしても頑張らなければ!
3時50分。集合場所のアクティビティーデスク前は、にわかに緊張状態になってきた。っといっても若干の日本人2名だけだが・・・
3時55分。頑固そうな顔の黒い警備主任のオヤジがやって来た。
予約の紙を見ながら名前を呼びチェックしていく。あと4人あと3人あと2人・・・
あと2人・・・これはラッキーか! デスクのお姉ちゃん指でグッドサインをだして応援してくれている。予定時間まであと3分に迫った時、またもやデスクのお姉さんがオヤジにこの二人を入れてあげてください。っと加勢してくれたが、顔黒オヤジは腕時計をかざし、ゆびでトントンと文字盤をたたくとまだ3分前だといった。 ・・・電池がめいっぱい充電された僕のデジカメはいまにも発火しそうだ! 
4時。OK!レッツ・ゴ―! やった。 最後の2名をゲットした僕らは、インド人の家族と警備員とガイドとともに総勢12名でブリッヂへ行けることになった。
エーリスブリッジはバーゴのそれとはずいぶんと違い、天井は結構低めであった。
進行方向に向って左手に防火扉と水密扉の制御装置が畳2畳ほどあり、正面にレーダーやGPS、ロランなどがあり、その横の操舵装置にはイギリス人風とタイ人風の2人の当直がいすに座っている。右手には通信室がありこれも2畳ほどあった。その後ろにはチャート(海図)ルームがありカーテンで仕切られていた。
これはかなり船っぽいです。 VIRGOのピコピコゲーセン風のブリッヂに比べるとこちらは、すべての装置が機能的に配置され、あちらこちらにハンドレールが設けられ、真冬のバルト海も突っ走れそうなかなり潮っぽい構造であった。 さすがドイツの船である。ポイント押さえたレイアウトには味わい深いものがあった。
「ここにはサメがいるのですか?岸からどのくらい離れているんですか?」のインド人家族に混じって、「電子海図はどのようなコンピューターシステムで稼動しているのか?」などと渋めな質問をしてヒーローになりかけたが、早口英語と専門用語でのお答えの嵐で完全にノックアウト状態であった。 その後デジカメをパチパチ約20分くらいやり見学は終了した。

午後6時30分。スタークルーズのパンフレット風の装いになったと自分では思いつつも、8階のヨーロッパラウンジへと向かった。  入り口付近ではカメラマンがさっそく陣取り、世界の紳士淑女と船長交えて記念撮影をパチパチやっている。
しばらく入り口で順番を待っていると、素敵なドレスを着た女性が僕らを見つけると一直線にこちらへやって来た。
「ミスタータナカ?」ご招待客にはなんとエスコートが付くのである! こちらへどうぞ。その女性は僕らをたくみに誘導してラウンジ最前列の予約席に僕を連れて行ってくれた。
正面のステージでは、すでに生バンドの演奏が始まっており、シャンペンがあちらこちらで振舞われている。 しめしめ今夜はいいことがありそうな予感だ! 最初から快調な滑り出しである。
ステージではスウェーデン人キャプテンによりクルー(担当部署の責任者)の紹介が行われ、約20分程のセレモニーの間にシャンペンを2杯頂いた。

船長の話が終わる頃、「後でまた来ます」と言っていたエスコート役のクルーが真赤なドレスでやったきた。 こちらからどうぞ!込みあっている会場出口を尻目に、我々を反対側のドアーよりVIP待遇で一階下のレストランへと案内してくれた。
テーブルは5人掛けの丸テーブルで、座席には招待客のネームプレートが置かれていた。
沢山のグラスがセットされ、ナイフやフォークなどが整然と並べられている映画のセットのようなテーブルでどんなことを話すのかな?船の速度は?大きさは?って聞くのもヤボだしなー。などと考えているうちに、隣にシリア人のカップルがやって来た。旦那さんの名前はエイブラハム、奥さんのお名前はサウサンという新婚さんのお二人はこのクルージングを皮切りに、プーケット等やマレーシアあたりを旅行するそうである。
これも何かの縁、お互いの国のお話などをしていると程なくして、スタッフ・チーフ・エンジニアーという肩書きの、立派な口ひげをはやしたジョニー・カールソン氏がやって来た。
潮っぽいジョニー氏は、海一筋の人生を送ってきた男で、スウェーデン生まれの彼は根っからの海好き家系に生まれ育ったらしい。
 自己紹介やらなにやらしているうちに、ウェイトレスがドリンクのオーダーをとりにやって来た、僕らはいつも通りのキリキリ冷やした白ワイン、シリア人夫婦は宗教上の理由からかノンアルコールで、ジョニー氏はまだ勤務があると言うことで美味しいただの水を頼んでいた。

スタークルーズで何かオーダーをすると、注文を確認する前にいつも必ず「キャビンカードをお願いします。」っと言われいるのだけれども、このときばかりは何もなかった。変だなーー後でまとめてくるのかな?っとT杯目、前菜を終わる頃にはもう2杯目、あらあらと3杯目、気がつくと食事が運ばれる度に飲み物を勧めにやってくる。
 やばいなーー調子よくだいぶ飲んじゃったなー。っとソロバンをはじいたのだが、なんと今回は招待なので全部無料だということが後でわかったのだった。
・・・・・ラッキー!!
バイキングのお話や日本語の漢字についての会話、とりわけエーリスのことになると話に花が咲き、「スパースターシリーズの他の船はクルース船(レジャー船)だが、この船だけはシップだ」というチーフエンジニアージョニー氏の発言に僕も共感した。アルコールも程よくまわり話もかなり盛り上がってきたころ、ここで一発勝負に出た。「明日機関室を見せてもらえませんでしょうか・・」ものすごく丁寧に会社で休暇を取るがごとくもみ手の攻撃ではあったが、残念ながらいい返事は得られなかった。「見せてあげたい気持ちはあるのだが、安全上の問題があるという会社の方針でダメなのです。」とジョニー氏。 これでは仕方が無い、が理由を尋ねてみると、むかし機関室の見学会を行っていた時に、どッかの国のおばちゃんが機関緊急停止ボタンを押してしまい、船のエンジンが完全に停止しまったと言うハプニングがあったらしいのだ。 このときばかりはジョニー氏もかなり慌てたそうである。スタッフ・チーフ・エンジニアーの役割と言うのはエンジンも含め船全体のすべての機械機器に関しての最高責任者であると言うことで、チーフ・エンジニアーが死んじゃえば、俺が機関長も兼任するのだーー立派な口ひげをマンダム的しぐさでなでながら誇らしげにいっていたのは印象的であった。
 楽しい夕食会は2時間半ほどで終わり、その後は一階上のヨーロッパラウンジで恒例のストリップナイトショ−が始まった。 詰めかけたお客さんのほとんどがタイ語を母国語とする人たちであったので、ノリがいまいちVIRGOと違う感じだったのだけれども、怪しい音楽とともにブリーフ一丁にさせられた6人のタイ人は喝采を浴びていたのはいうまでもない。 シャム湾の夜もひき続き怪しい・・・・・・